インフォームドコンセントと医学の関係性

もともとは2つの意味があった

医者が患者さんに対して、受ける手術や治療の内容、そのやり方、そしてその必要性や危険性、またそれらにかかる費用などについて、分かりやすく説明したうえで、治療に同意を得ることを「インフォームドコンセント」といいます。

このインフォームドコンセントは、ここ数年ほどで日本の医療界において盛んに言われ始めたものですが、その歴史をたどれば、もともとは2つの意味がありました。

1つは、医療過誤裁判において、医者に説明義務があることを認めさせるための法律上の概念です。そしてもう1つは、人体実験における被験者の同意を取り付けるうえでの考え方です。

この考え方が広まったのは、1970年代のアメリカの医療界においてのこと20です。医者と患者の間に食い違いがなく治療が行なわれるよう、また治療中になんらかのトラブルが起きたさい、あくまでも「同意の上」を強調し、訴訟時における医者の自己防衛をするためという意味がありました。

こうした考え方は1990年ころに日本にも持ち込まれ、治療に対する「説明と同意」の徹底がいわれ始めました。特に「ガンの告知と治療」については、このインフォームドコンセントの考え方が、多くの医療現場で普及され始めています。

さて、このインフォームドコンセントについてはたくさんの解釈があるかもしれませんが、医者が患者さんとコミュニケーションをとり、前向きな治療をする手段としてあるものならば良いのではないかと思います。

つまり、日本においてインフォームドコンセントが導入され、ガンの告知をするさいに、患者さんに説明をするというのは、本来「大丈夫です。頑張りましょう」と励ます意味が込められているべきであったはずだからです。

ところが現在、日本で行なわれているインフォームドコンセントは、アメリカかくみので生まれた背景同様、医者の隠れ蓑になつているような気がしてなりません。つまり、万が一の場合の訴訟に備えての同意書ということです。「最悪の結果になっても、同意を得ているわけだから、医者は訴えられない」、医者のプライドを忘れたかのように使われているのが、今の医療の現状です。

「同意書」がさらに心を傷つける

インフォームドコンセントの同意書に書かれている内容というのは、非常に不愉快なものです。その内容を読んで、快くサインをしようと思う人は1人としていないでしょう。

むしろ自分が侵された病魔に脅かされ、「自分はこんなにひどい状態なのか…」と暗い気持ちになることは間違いありません。

大変なストレスを抱え込むこととなり、そのストレスが痛の進行に拍車をかけることになる、これはもう最悪の循環です。こういうことは、医者自身の倫理観のなさに基づくものではありません。医者には悪気はないのです。むしろ問題はしくみにあるのであり、日本の医学の未熟さがこうした傾向を招いているのだと考えていいでしょう。

そもそも人間というのは、混乱に混乱を重ねながら物事の間違いに気づいていくものです。今の日本の医学というのは、まさにこの混乱のど真ん中にあるのだと私。そしてその間違いが決定的な形となって現れるまでは、誰もがうすうすは気づいていながらも、こうした傾向に対して歯止めをきかせることはできない。しかしそこにはやがて破綻が起こってくることは間違いありません。

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